豊島ウェディング

ご予約・お問い合わせ

 

Case #01

故郷ウェディング 

オーストラリアでご結婚されたお二人。新婦の生まれ育った故郷・豊島でも、両家のご両親と一緒に思い出を作りたいと、オーストラリアからゲストをお招きして、豊島ならではのおもてなしを準備させていただきました。新郎アランさんのご家族は、前日から『白い寮』にご宿泊。当日は新婦玲子さんのご実家で和装を着付け、近くの「豊島家浦八幡神社」で神前挙式をあげた後、パーティー会場の『海のレストラン』へ。ウッドデッキで海を眺めながら、新郎が選んだオーストラリア産スパークリングワインで乾杯。新婦はご実家のオリーブをあしらったオリジナルブーケを手に、お父様と入場。ウェディングケーキには豊島産いちごをゲストとデコレーションする等、英語と日本語が飛び交うアットホームな時間となりました。

 

Case #02

Bon Voyage! 良い旅を! 

新婦が美術やアート等に興味があり、直島を訪れた際にその雰囲気や芸術作品に魅せられたのがきっかけ。大好きな場所にご両親を連れて来たいとの思いから、島でのウェディングを企画。感謝の気持ちを伝えたいというお二人の願いや、豊島を体感してもらいたい、豊島でしかできないことにこだわりたいという想いを大切に、ゲストへのおもてなしを考えさせていただきました。豊島の恵みがつまったギフトでは、いちご・レモン・オリーブ・お米等の島の農家さん、料理の魚を提供していただく漁師さんにご協力いただきました。港へお出迎えや見送りに来てくださる島民もいて、島全体が祝福に包まれたお式となりました。

 

Case #03

フォトウェディング 

Coming soon...

 

Case #04

フォトウェディング 

Coming soon...

瀬戸の花嫁物語 

山口勝さん 幸子さんご夫妻の場合

ご結婚は昭和36年。幸子さんが20歳の時、叔父の紹介で勝さんと知り合い、岡山県倉敷市玉島から嫁いで来た。「初めて島に来たんやから、不安やったよ。近所で飼われていた牛に追いかけられて本当に怖かった。」と当時を振り返る。

おつきあいする間もなく、嫁ぐのが当たり前だった時代。勝さんの第一印象は「優しいなと思った。真面目が一番やったかな。」苦労は覚悟の上だったが、それでも最初は島の流儀や人間関係に戸惑ったという。豊島生まれ、豊島育ちの人は“はいぬけさん”と呼ばれ、古くからの地元のコミュニティが島の外から入ってくる人にはどう馴染んでいいかわからない存在だった。
苦労も多かったが、やがて転機が訪れる。幸子さんが大病をして半年ほど入院した時のこと。「命がもうこれで終わりやと思うた時に、みんなに助けてもらって元気をもらったんや。豊島には優しい人もいっぱいおるな、いつか恩返ししたいなと思った。」
その時の気持ちを行動に移したのが、豊島の産廃問題を風化させないために始まった<島の学校>のお手伝いだ。毎年、二泊三日で島外の人たちに産廃勉強会を開くことになったが、宿泊施設がなかったので、幸子さんは、一軒一軒民家を訪ねて宿泊させてくれる所を探しながら、自分も産廃の話を聞いて勉強した。
「島外の人たちに加えて、豊島の子供からおじいちゃんやおばあちゃん、学生さんも参加していた。私はその時に食事係の総まとめをさせてもらって、一番多い時で150食作ったよ。それを10年間、島への恩返しやと思うて一生懸命やらせてもらった。」

「今は幸せよ。」と語る幸子さん。豊島に移住してきた若い人たちが、幸子さんのお料理目当てに日々集まってくる。島の外から来た苦労が分かるだけでなく、今も新しいレシピにチャレンジする幸子さんの好奇心旺盛な生き方や、ご夫婦の温かい空気感が、若者たちを惹きつけているのだろう。

ご予約・お問い合わせ